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シリーズ【イギリスの幼児教育】 第6回:『屋根のない教場-遊び場ー』を作り世界に広めたサミュエル・ウィルダスピン

イギリスとゆかりのある幼児教育・保育の偉人たちを紹介しているこのシリーズ。今日は、「遊び場(play-ground)」*や「男女共学」というアイディアをもたらしたサミュエル・ウィルダスピン(Samuel Wilderspin, 1791-1866)というイギリス人についてです。

現代の学校教育の創設者の一人であるウィルダスピンは、幼児教育の普及に携わり「遊び場」を考案し学校の敷地設計とその提供に大きな影響を与えた人物です。ウィルダスピンは自身の理念の中で、ロバート・オーウェンの考えに基づく「健全な心身の発達を重視した教育」を強調しました。(ロバート・オーウェンの記事はこちらから

*日本語では「園庭・校庭・運動場」と言った方がイメージ的にはしっくりくるかもしれませんが、ウィルダスピンを語る際に「play-ground = 遊び場」という定訳があるので、ここでもそれに従います。

ウィルダスピンは35歳の時から、幼児教育の重要性を説き幼児学校の普及のためにイギリス各地を訪れるようになりました。7歳までの子どもは人生の基礎作りの「黄金期」であるとし、乳幼児教育の4つのルールを次にように定め、子どもたちの親や教師に熱心に説きました。

ユニセフ大使のパディントンがお手伝い

1> 子供に適切な食べ物を提供する。
2>  説明は明確かつ簡単にして、
    子どもの年齢や能力に合わせる
3> 過度の指示を与えず、子どもの
    自発性を促す。
4> 運動と娯楽の両方を適度に指導
    の中に取り入れる。

今となっては当たり前に子どもたちが享受しているこれらは、当時はそれまでのやり方から逸脱した全く新しい考えだったのです。特に4番目のルールは、歌を歌うこと、教室で学ぶときの体の動きや技術の習得、遊び場での自由な動き、というように3つを行うことで相互により良い効果をあげるという考えです。これは現在のイギリスの幼児教育指EYFSの効果的な学習方法に引き継がれています。

ウィルダスピンは、この自由に体を動かすための「遊び場」とそれに伴う新しい教育方法を開発し、それは現在も続いているシステムとなりました。当時も、イギリス国内にとどまらず、イギリス植民地、ヨーロッパ、アメリカ大陸などでウィルダスピンのシステムをモデルにした学校作りが各地で行われました。

リンカンシャーにあるウィルダスピン・スクールは、自身が設計と装備を手伝い、教師そして教育プロモーターとして数年間働いたモデル校です。1844年に建てられたこのスクールは、その校舎と遊び場が現存する世界で唯一の場所でもあり、国際的に重要な場所でイングリッシュ・ヘリテッジにも登録されています。ミュージアムも併設されていて、当時のいろいろな様子を知ることができるので、今でも多くの人が訪れています。

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